初代岡田広山は、当時の“立華”、“生花”などの格花とは異なる新しいいけ花「植物本来の個性を生き生きと表現する自由花」として“投げ入れ”や“盛り花”を考案しました。
この自由花としての“投げ入れ”を初めて公の席である、明治天皇の玉座にいけたのが明治43年であることから、広山流はこれを創流の時点としています。

この新しいいけ方は当時の婦人雑誌に連載され、また大正15年からNHKのラジオ放送で初の花道講座を担当し、全国的に紹介されました。
初代家元はその後も大きな業績をあげ、昭和41年、勲五等双光旭日章の栄誉を受けました。

二代、三代家元は初代の作風を継承発展させ、特に三代家元は野草の分野を開拓、「岡田広山のいける野の花山の花542種」(中央公論社)はベストセラーとなり続編も多数出版されました。
平成12年には創流90周年を機に岡田紀光子の副家元襲名が決まり、ますます充実した活動が期待されるなか、平成14年、突然の病に倒れ他界いたしました。現家元は平成16年に四代目を襲名し、現在にいたります。